「○○守」って何?
和泉守兼定、大和守安定、陸奥守吉行。この三人の名前。○○守が刀工名の前に付いていますが、これ気になりますよね。○○に入るのは旧国名です。
ぱっと見た感じ、現代人の感覚では「苗字かな?」と思うのですが、そうではないんですね。
ゲームの和泉守兼定の作者、会津兼定12代の苗字は古川さんです。
これは「受領名(ずりょうめい)」という一種の称号です。
概要はWikipediaの「受領名」に書いてあるので興味のわいた人はそちらを読んだり、中世の身分制度について書かれた本を探していただくと詳しい話が載っているのですが。
刀工が使う受領名は「良い仕事してるし、○○守名乗って良いよ」と朝廷からいただくものとして鎌倉時代の最初のあたりから始まります。それも南北朝時代くらいになると自称が増えてグダグダになっていたようですが、一応形式としてはそうでした。
受領名を名乗れるのは良い仕事をしている人の証、ブランド力になるものだったようです。
○○守の○○に入る国名は出身地ではなく、しきたりで色々と決まっておりランク付けもあったようです。このあたりの詳しいことは専門の本に当たってください。
刀工の受領名制度は、江戸時代に徳川家康によってテコ入れと整備がされます。
徳川家康は、朝廷に働きかけて伊賀守金道という京都の刀工を「日本鍛冶惣匠」という役目に任命してもらいました。全国の刀工は、受領名が欲しかったらこの人に仲介手数料を支払って朝廷に申請してもらってね、というシステムです。
このシステムは、刀工はちゃんとした正規の受領名がもらえる、朝廷は作った刀を献上させてそれを売って財源にできる、伊賀守金道家は手数料でウハウハ、徳川幕府は朝廷が勝手に受領名を乱発して金儲けしてないか監視できる、関係者みんながハッピーな状況を作って成功します。
伊賀守金道家は幕末まで代々この仕事を世襲していました。
江戸時代になってから作られた和泉守兼定、大和守安定、陸奥守吉行は、このシステムにのっとって発行されたブランド名を名乗っています。
受領名は明治になって廃止されたので、現代の刀工は「○○守誰それ」とは名乗らずに基本的には苗字+刀工名です。ですが、先祖が「○○守誰それ」を名乗り始め、それを代々受け継いでいる方の場合は「○○守誰それ」の銘を切ることもあります。
意外と生臭い大人の事情も絡んだ「○○守」のお話でした。
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