日本刀を楽しむのに最低限必要な日本史

以前、日本刀の本を読むのに「中学レベルの日本史の知識」が必要と書いたのですが、学校で習う歴史が苦手で全然覚えてないYO!という人も居るということを知りまして。
苦手だった科目をもう一度勉強するのも嫌かなと思い、日本刀を楽しむのに最低限必要な日本史年表を作りました。

平安以前は覚えなくて良いです。上古刀に興味が出てきたら必要ですけど…。
鑑定会に行っても、刀は好きだけどそれ以外の日本史には全く興味ないという方もいらっしゃるので、日本史を全部知ってないといけないということはありません。当然知ってた方が面白いし、いろんな変化について、なぜそうなるのか?が分かるので、結局のところは覚えたもん勝ちではありますが。

では、各項目について説明します。

平安遷都

日本刀にまつわるめだった事柄はありませんが、スタート地点として設定しやすかったので。「鳴くよウグイス平安京」って今の子ども達も言うんでしょうか。

摂関政治

一条天皇の時代です。
一条天皇といえば「小鍛冶」!小鍛冶と言えば三条宗近!ということで、覚えましょう。
天皇の祖父として権力を握った藤原兼家(三条殿)に三条宗近が仕えていた、三条はそこから来ているという説があります。
また、藤原兼家の息子・道長には源頼光とその配下、渡辺綱(源次綱)が仕えています。酒呑童子退治、土蜘蛛退治の伝説の時代です。

保元・平治の乱〜鎌倉幕府成立

大河ドラマ「平清盛」の世界です。これ見たら全部分かるんですけど(身も蓋もない)。
戦いの周辺で色々な名刀が登場する他、この戦いのために瀬戸内沿岸に集められた刀鍛冶が「ここ住み心地良いな!材料もあるし!」と長船を気に入って住み着きます。
鎌倉幕府成立後すぐは、後鳥羽上皇の御番鍛冶の時代です。

元寇

敵の大陸式の戦闘スタイルに自分たちの「やあやあ我こそは」スタイルが全然通用しなかったし、このままじゃダメなんじゃなかろうか…という反省のきっかけになったできごとです。違う戦闘スタイルを模索しつつ武器の形が変わり始めます。

南北朝の動乱

戦争のやり方が鎌倉時代とはかなり変わります。ゴツい・鋭い・長い=強い。南北朝スタイルが作られた時期です。長い武器が活躍します。

応仁の乱

馬に乗った武者が主役の時代から、徒歩の兵士による集団戦に移行する時期です。徒歩で使いやすいように帯に差す打刀が作られるようになります。
オーダーメイドのすごい一振「注文打」とは別に、下っ端兵士に持たせるための大量生産品「数打物」ニーズが生まれます。

関ヶ原の戦い〜大坂の乱

この少し前あたり、慶長の頃が古刀と新刀の移行期にあたります。どこかでパキッと切り替わったのではなく徐々に変化したはずですが、覚えやすい出来事とセットで覚えてください。

享保の改革

8代将軍・徳川吉宗が行った政治改革です。「武士は武士らしくないといかん」と言って武術を習うのを奨励しました。むしろ奨励しないといけないくらい、武士が単なる城勤め世襲サラリーマンに成り下がってたわけです。武士道なんて明治人の考えたファンタジーですよ。
名刀カタログである『享保名物帳』が編纂された時代です。

黒船来航〜明治維新

新々刀の作られた時代から、廃刀令までです。幕末の動乱期には様々な刀の逸話が残っています。
ここは色々ありすぎで逆に書くことがあんまりないです。

敗戦

戦時中は軍によって兵器製造のために金属類(刀剣も含む)の接収が行われました。溶かされて何になったんでしょうね。戦艦かな?戦闘機かな?
敗戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による接収、要するに刀狩りが行われ、それに対して刀剣研究家が「日本刀は武器ではあるが美術品でもある。だから武道に使うもの、美術的に価値の高いものは残させてくれ」とロビー活動を行った結果、現在の日本刀所持の制度が定められます。

こんな感じでしょうか。
一連の流れさえ押さえておけば、いろんな本に出てくる細かい説明も理解しやすくなると思います。

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