フォトライブ「刀鍛冶×写真家 -継続する力-」より
2016年6月22日(水)にニコンプラザ大阪でフォトカルチャーウィーク 「クロッシング」2016のセミナーの一つとして開催された フォトライブ「刀鍛冶×写真家 -継続する力-」 に参加しました。
このフォトライブは10年以上刀鍛治の現場を撮影し続けている写真家・宮田昌彦さんと兵庫県で鍛刀を行っている高見國一さんの対談、トークショーでした。
宮田さんは高見さんの師匠である河内國平親方の鍛刀場を撮影するのをライフワークにしていることから、高見さんが独立する前からの顔なじみであります。そのため、トークショーは始終和やかで楽しい雰囲気でした。
宮田さんはこのブログで以前ご紹介した 目次紹介『日本刀 神が宿る武器』 の写真を撮られた方のお一人です。
今回はこの対談から、宮田さんが発言された刀鍛治の現場を撮ることについて一部をご紹介したいと思います。公開鍛錬や長船刀剣博物館の実演を撮影するのが好きな方の参考になれば。
道具や素材にも魅力がある
作業しているところだけでなく、仕事場の道具の配置や、玉鋼などの素材そのものにも魅力がある。
道具はそれそのものも面白いが、各道具がどういう位置に配置されているかもすごく面白い。
道具や配置のスタイルは弟子入りした親方のスタイルを仕事の手順ごとそのまま受け継ぐ。
電動のハンマーや金床以外の道具はすべて刀工が自分で作るので、味がある。
玉鋼はとてもごつごつしていて立体的でかつ光があたるとキラキラ光る面白い被写体。晴れた日に直射日光が差し込むところに置いて撮るとものすごく良い表情になる。
空気を壊さず撮る
炭切り(鍛錬などに使う松炭を使いやすいサイズに切り分ける工程)を撮る時。
一日同じ手順で黙々とひたすら炭を切って行くので、三脚を立てて静かな空気を壊さないように絵を決めて行く。
レンズを覗いたらまず四隅を見て、余計な物が写りこんでいないか見る。三脚を使うのは、すごく静かな空間を写すのに画面の平行をきっちり取りたいことと、カメラを持つことに意識を割かないため。カメラを持つことに意識を割かないので、気持ちも画面も前のめりになりすぎず、良い意味で「引いた」写真が撮れる。
公開鍛錬の時などはお弟子さんたちと同じ格好をする。カメラマンです!と主張せずに紛れこんで撮るため。
被写体に対する知識を深めつつ撮り続ける
最初に鍛刀の現場を撮り始めた頃は日本刀についてあまり知識がなく、各工程の意味も良く分かっていなかった。
例えば、鉄を赤める(熱して赤くする)こと一つにしても、色の違いや火花の飛び方で温度が違う。意味を勉強しながら撮り続けて行くと写真も良くなっていく。
歴史のある物、ことを撮るときは知識がないと撮る絵も浅いものになってしまう。1回で良いものは撮れないので、ずっと撮り続けるのが大事だと思う。
何も足さない、何も引かない
普段仕事で手がけているコマーシャルフォトとは違うので、「撮り切り」で加工しない。
鍛錬の現場を撮り続けているのは、格好良いシーンを撮るためではなくそれに携わる人の姿勢や仕事ぶりを撮りたくてやっている。そういう写真だから足したり引いたりしたくない。
焼き入れは「写ってた…!」という感じ
この工程は真っ暗な中で炎の色を見ながら行われるし、作業がどんどん進んで行く。いわば最後の仕上げなので、ものすごい緊張感。
オートにしてカメラにおまかせにしてしまうと写らない、真っ暗な中でどんどん進んで行くのでメーターを見たり数値をいじったりしている余裕はない。レンズ交換なんか絶対無理。最初に行った時はフィルムカメラだったのでフィルム交換できなくて困った。
自分で決めた設定で必死に撮り続けて、終わってから見て「写ってた…!」っていう感じ。
現場は炭の粉が舞っているので全身が煤けてしまうし、カメラはジャリジャリになるし、飛んでくる火花でやけどもする。
写真の記録性
ずっと撮り続けていると変化がある。例えば銘。
高見さんの銘も少し前まで名前の字が大きかったけど、奥様のツッコミで最近少し小さくするようにした。ずっと撮り続けているので銘のサイズの変化も写真で並べて見られる。
職人が仕事をしているところはどこを撮っても絵になるので、1回目は夢中で撮りまくるけど、2回目から段々何を撮っていいかわからなくなる。同じ位置から同じ構図を何度でも撮る、それで微妙な違い、差を探すのが面白い。
レンズを1本だけにしてみたりもする。
写真と動画
このセミナーで使われた宮田さんの写真の一部はGoogle Cultural Instituteの「Made in Japan:日本の匠」プロジェクト、「日本刀」のページで見ることができます。
セミナーの最後の方で流した動画をYoutubeにあげてくださったので、こちらもご紹介。
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