刀の見方 かたち編その10 江戸時代中期の打刀
この記事は 刀の見方 かたち編 はじめに から続く記事です。
刀の見方 かたち編「安土桃山時代の打刀」の次は「江戸時代中期の打刀」です。
江戸幕府の成立で戦がなくなると刀の形が再び変化します。
1657年に江戸で起きた「明暦の大火」でたくさんの刀剣が焼けてしまい、その後の1661年から始まる寛文年間には、刀剣の爆発的な需要があったと言われています。
どうしてこの形になったのか?には諸説入り乱れていて、
実際に使う機会が格段に減ったから実用性より格好良さを追求してこうなったとか、
武士の帯刀するのが「打刀と脇差のセット」と幕府が決めて、二本差した時に格好良いようにこうなったとか、
竹刀で剣術を練習するようになって刀も反ってない方が使いやすいしこうなったとか、
いろいろ言われています。
おそらく、いろんな要因が複合的に絡まり合ってこういう形になったんでしょうね。
この時期の刀は江戸と大阪が二大生産地になっています。
幕府の下で天下泰平になり全国の物資が大都市に集まるようになったので、刀工も材料とお客さんがたくさん集まる大都市に移住しました。
江戸は全国の大名の江戸屋敷があります。そこのお抱えになれば安定した収入が得られます。
なので、江戸で作られた刀は武士がいざという時に使う用として割とすっきりした印象のものが多く、試し切りをした銘がちょいちょいあります。
大阪は全国お金持ちランキングのランカーがあっちにもこっちにも住んでいた商人の町で、彼らをパトロンとした刀工が活躍しました。
商人が帯刀して良いのは特別な許可がない限りは脇差までですので、それより長いものは「美術品」として注文が入ります。そのため、きらびやかでアーティスティックな印象のものが多いです。
このスタイルの特徴はこんな感じです。
- 刀身は前の時代より少しだけ短め(2尺3寸前後)
- 刀身の幅は普通で、根元に比べて先がやや短い
- 切っ先は短い
- 刀身にほとんどカーブがない
ゲーム「刀剣乱舞」でこのスタイルの打刀のキャラクターは、加州清光、蜂須賀虎徹、長曽祢虎徹、大和守安定、陸奥守吉行です。
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