新藤五国光の話

また時事ネタで恐縮です。つい先日、ゲーム「刀剣乱舞」で新しい短刀が登場しました。
この短刀、発表されてみれば「包丁藤四郎」だったわけですが、「会津新藤五」だったらイイナーと思っていたのは私だけではなかったようです。いや、だって吉光多す…げふんげふん。

「会津新藤五」は鎌倉時代の刀工・新藤五国光が作った短刀です。
新藤五国光は、鎌倉に住んで刀を作った「相州伝」という大きなグループの実質的な創始者と言われています。他の地方から鎌倉に移住した刀工はこの前からいたようなのですが、鎌倉ならではの作風を開拓したパイオニアがこの人です。

鎌倉時代の刀工は、銘の年紀や作風、さまざまな資料に載っている情報の断片からいつの人だったか、どの人の弟子であったかなどが類推されており、新藤五国光もその出身に様々な説がある刀工です。

師匠と目されている人も三人います。
1.備前長船の刀工・国宗
2.備前の福岡一文字派の刀工・助真(すけざね)
3.粟田口派6兄弟のひとり・国綱。
三人ともこの時代の名工です。

ゲームにこれから確実に出てくるのは天下五剣の一つ、国綱の作った「鬼丸国綱」です。なので、国綱は覚えておいてください。

粟田口派6兄弟は国友・久国・国安・国清・有国・国綱と言われています。この「兄弟」も本当に兄弟なのか、兄弟弟子なのかよく分かりません。
国友の弟子・則国の弟子に、国吉(鳴狐の作者)と吉光(藤四郎兄弟の作者)がいます。

新藤五国光が開いた相州伝は、後の世代に行光(不動行光の作者)や、名工の代名詞であり相州伝を完成させた正宗、さらに貞宗(物吉、太鼓鐘、亀甲貞宗の作者)、広光(大倶利伽羅の作者)などが出てきます。彼らの師匠・弟子の関係は資料によってバリエーションがあって、本当のところは良く分かっていません。
京都に住み、相州伝に影響を受けた作風であるへし切長谷部の作者・長谷部国重は新藤五国光の息子であるという説もあります。

新藤五国光は国綱の弟子説を採用するなら「粟田口派の流れをくみつつ、相州伝の祖となった刀工」となるわけです。粟田口派が含まれる山城伝と相州伝の橋渡しをした刀工ですね。
で、実際の刀を見ると刃文は粟田口らしいすんなり上品な直刃だったりします。が、地鉄は相州伝らしい鋭いキラキラ系です。ハイブリッドな感じがたまりません。

ゲームのキャラクターで言うなら、粟田口兄弟たちの遠縁でありつつ不動行光や貞宗兄弟、大倶利伽羅の保護者でもある存在、でしょうか。なかなか面白い立ち位置だと思いませんか?

新しい短刀の名前が発表になる前のイラストで粟田口派の服装をしているのを見て、新藤五国光を「粟田口派の流れをくむ刀工」とみなしたとすれば「会津新藤五」も無理ではないなと思った理由がお分かりいただけたでしょうか。

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