聖地巡礼、真田丸跡
今回は日本刀はほとんど関係なく、私の町歩き趣味だけで書いた記事となります。
刀剣乱舞の舞台作品で真田丸を扱った演目が発表され、そういえば大河ドラマ「真田丸」放映時に友人たちと真田丸現地ツアーをやったなぁと思い出した次第です。
記事中の写真は2016年当時のものですので今と少し雰囲気が変わっているところもあると思いますが、今後現地を訪問してみようかなとお考えの方の参考になればと思います。
まずは地図を確認。大阪メトロ鶴見緑地線とJR環状線の玉造駅が最寄駅です。
JR環状線の玉造駅には、2016年当時は真田丸の模型が展示されていました。今でもあるのかな…?
玉造の交差点から長堀通り沿いに西へ歩き、2つめの信号を南に入り、3ブロックほど住宅と雑居ビルの中を進むと善福寺(どんどろ大師)というお寺があります。ここからゆるやかな坂道を登っていくと、坂道沿いに「真田丸顕彰碑」が建っています。ほぼこの辺りで間違いなかろうということで建てられた石碑です。
このフェンスの内側には大阪明星学園という私学の中高一貫校のグラウンドと校舎がありまして、そこに甲冑を身につけ槍を持った真田信繁の壁画があります。
実は真田丸の位置や規模は今でも朧げにしか分かっていません。大坂冬の陣が終わったあと、堀の埋め立てと一緒に真田丸も破壊されたため、このあたり一帯の発掘調査をしないと正確なところが分からないのですが、地図を見ると分かるように建物がびっしりと建ち並ぶ市街地なので一気に調査するのは現実的ではありません。
建て替え工事などの際に少しずつ地中の様子を調べているそうですし、いつかは「ここからここまでがそうだった」という正確な線引きができるようになるかもしれませんね。
さて、顕彰碑と道路を挟んで向かいにあるのが心眼寺というお寺です。顕彰碑ができる前は、ここが真田丸聖地巡礼の目印となるスポットでした。
こちらは真田信繁とその息子の菩提を弔うために江戸時代の始め頃に再建されたお寺。いわば「戦国武将・真田幸村ファンの聖地」として数百年の歴史があります。
余談になりますが、こちらの境内には幕末の鳥羽伏見の戦いで負傷し亡くなった京都見廻組の桂早之助と渡邊吉太郎の墓もあります。この二人は坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺の実行犯と言われています。
さらに心眼寺のさらに東隣に行くと、真田山旧陸軍墓地、その奥に宰相山公園、「真田の抜け穴」伝説のある三光神社へと続きます。
旧陸軍墓地は西南戦争から太平洋戦争までの、大日本帝国陸軍の戦死者を弔うために作られた国有の墓地です。広い敷地に何百という墓跡が並んでいるのは圧巻ですが、敗戦で陸軍省自体がなくなったために手入れが行き届かず、地域の有志の手で維持されてきた歴史があります(近年大阪市から助成が出るようになりました)。
大坂城から豊臣秀頼を脱出させるのに使われたという伝説を持つ三光神社の「真田の抜け穴」、研究者の説では真田丸を攻略しようとした前田勢が掘った穴ではないかとのこと。
神社では年に1度お祭りなど催されていますし、用途はともかく「大坂の陣の史跡」ということで見ておくのが良いかと思います(笑)。
ここまでが真田丸界隈の定番スポットです。
もし時間に余裕があるのであれば、周囲を少し歩き回っていただきたいと思います。いくつか面白いポイントがありますので。
最初に通って来た長堀通の北側にある大阪女学院の前の坂はかなり急で、自転車などで降りるのを躊躇するほど。先ほど出てきた顕彰碑に向かう善福寺前の坂(南側・ストリートビュー)と、大阪女学院の前の坂(北側・ストリートビュー)の間は、実は広めの谷になっています。この「谷」の町名は、空堀町と言います。
これ、豊臣大坂城と大坂城下の一番外側の堀、惣構の堀なんです。
つまり、大坂城と真田丸の間にあった惣構の堀はほぼ残っている、ということです。真田丸を描いた絵図などを見たことのある方は、ここがそうかーと思いながら歩いていただくと楽しいのではないかと。
以上、真田丸に聖地巡礼される方のお役に立てば幸いです。
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