写しと贋作とレプリカの差 3.写し
この記事は「写しと贋作とレプリカの差 1.レプリカ」「写しと贋作とレプリカの差 2.贋作」の続きです。
いろんな写し
最終回・写しです。
ゲームで「写し」という単語を知った人は、写しにはみんなコレ!という確固たる元の作品が存在していて、それに対する写しがあると考えているかもしれません。
ですが、実際にはもっと広い範囲の作品群を指すカテゴリ名です。
- ある刀派の作風に倣ったもの。
- ある名工の作風に倣ったもの。
- ある特定の作品に倣ったもの。
全部「写し」です。
1.なら「福岡一文字派の作風を写した幕末の作品」、2.なら「正宗の作風を写した戦国時代の作品」のようなものがあります。1.と2.は鑑定会の解説を聞いていると「よくできた一文字の写しです」「銘には正宗写しと入れていますが、美濃の雰囲気があるので志津風の方が近いです」のような感じで、割とよく聞くフレーズです。
山姥切国広は3.ある特定の作品に倣ったもの、にあたります。
これも、銘に書かれた内容から「この刀の元はコレであろう」と推測できるので元の作品や作られた経緯が分かるだけであって、銘も史料もなければ元の刀がどれなのかは断定できません。なんせ数百年前の物ですから。
今まさに進行中の蛍丸の写しと、4月からスタートする燭台切光忠の写しも3.に入ります。気鋭の若手・福留房幸刀匠の蛍丸写し、大御所・宮入法廣刀匠の燭台切光忠写し、どちらも非常に楽しみですね。
結局写しって何なの?
本歌(本科と書くこともあります)と写しは、リスペクトされている方とリスペクトしている方という関係です。現代で良く見るものとしては流行歌の「原曲」と「カバー曲」に相当するかと。
昭和の名曲に「見上げてごらん夜の星を」という曲があります。多くのアーティストにカバーされていますが、カバーバージョンを「ニセモノだ!」と言う人はまず居ません。
本歌:1963年発売、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」(原曲)
写し:2003年発売、平井堅の「見上げてごらん夜の星を」(カバー曲)
当然別々の人間が歌っていますし、解釈の違いや歌い方のスタイル、伴奏のアレンジの違いなどで、原曲とカバー曲は全く同じ曲にはなりません。ただ、原曲の面影がないレベルで音程が外れまくっていたり歌詞の大半が改変されていたとしたら、それはもうカバー曲とは言えないですよね。
どちらが好みかは聞く人によって分かれるでしょうが、カバー曲の歌手が原曲の歌手を同じ業界の先人としてリスペクトしていることは誰も否定しないと思います。
漫画ならこういう例が分かりやすいかもしれません。リメイクですね。
本歌:手塚治虫作『鉄腕アトム』の「地上最大のロボットの巻」
写し:浦沢直樹作『PLUTO』
よく言われる、本歌がなければ写しはない、という言葉には一見本歌の方に優位性があるように見えますが、『鉄腕アトム』がなければ『PLUTO』は描かれてないという至極当然の話にすぎません。
絵を描いたり文章を書く人なら感覚的に分かると思いますが、美術や創作、何かを作るという行為は意識的・無意識的に先人の模倣を行った上に独自性を加えて成立するものです。なので、どこかで読んだことをそのまま真似して「写しは本歌を超えられない」とドヤ顔する人は作品(刀)やそれを生み出した作家(刀工)に対する愛がないよなーと思います。
また、『鉄腕アトム』と『PLUTO』で絵のタッチが違う、独自設定がある、細かいストーリーが違うように、刀の本歌と写しでも全体の姿は同じだけど地鉄の質感が違う、刃文が違うなどは当たり前にあります。再現しようと思ったけどできなかったのか、それとも意識的に再現せずにアレンジしたのかは作品によって違うでしょう。
むしろ、最初に挙げた1.刀派や2.刀工の写しの場合はコレという確固たる先行作品がないのもあり、全体の仕上がりで「これは○○へのオマージュだな」と見る人を納得させられるかどうか+その作品自体の出来が良いかどうかの方が大事です。
カバーであってコピーではない、がポイントです。
というわけで、三つを並べるとこういう区別になります。
- 日本刀でもなく、本物でもない。ある刀をイメージした模型:レプリカ
- 日本刀であるが、本物ではない。作者が偽られている:贋作
- 日本刀であり、本物である。リスペクトする先行作品がある:写し
これまでの図に写しと本科のリスペクト関係とその他の刀を付け加えるとこんな風になります。
個別の作品として、写し・本歌・その他の刀は「日本刀であって本物である」というカテゴリ内で同列です。作品の出来/不出来以外の優劣・上下関係はありません。
変な話、みんながみんなこれを知ってる人ばっかりなら、まんばが卑屈になる理由は全くないんですよね。彼の言動から、こんな風に考えてるんだろうなと思います。
- まんば自身、写しを劣ったものとは考えてない
→けど、どうせ劣ってるって思われてるんだろうなって諦めてる - 写し=贋作という勘違いをされたくない
→けど、どうせ分かんないやつには分かんないんだろうなって諦めてる - 自分が出来の良いきれいな刀という自覚は充分ある
→写しってことだけで低く見られるのが腹立つけど諦めてる
この見事な卑屈諦めモード!面倒くさいな!
ですが「いい加減、写しとは何かということは広まっただろうか」と言う1周年のセリフを見て、まんばには「写しが何か理解してもらえた人になら、自分を正当に評価してもらえるはず」という期待があるのではないか、と思いました。
こじれてるけど根っこはすごく素直な子じゃないですか…。かわいいなこんちくしょー!
ということで、やっぱりまんばは最高に面倒くさかわいい、間違いない(確信)。
これで一応の説明は終わりなのですが、ついでなので「写し」周辺に出てくる言葉についてもお話したいと思います。
本歌取りとは?
写しと本歌の「本歌」は本歌取りから来ている。
このフレーズ、写しについて調べたことのある方なら何回か見ていると思います。正直、何を説明したいのか意味が分かりません。おまえ本歌取り言いたいだけやろ!って後頭部を叩いてやりたいくらいです。
本歌取りって言われて「あー、本歌取りね」っていう人、どれくらいいるでしょうか。古典で習ったとしても普通は忘れてますよね。
本歌取(ほんかどり)とは、歌学における和歌の作成技法の1つで、有名な古歌(本歌)の1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行う方法。主に本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に用いた。
Wikipediaの説明だとこんな感じ。
これぞ「ザ・本歌取り」な和歌を使って実際にどんな技法か見てみましょう。まず本歌取りの技法で読まれた和歌から。
契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山浪越さじとは(小倉百人一首 清原元輔)
訳:私たち約束しましたよね、涙で濡れた袖を絞りながら「末の松山を波が越えることなどない」と。
失恋したっぽい雰囲気は分かるものの「松?波?」という疑問が残ります。次に本歌を見てみましょう。
君をおきて あだし心を我が持たば 末の松山 波も越えなむ (古今和歌集 東歌 読み人知らず 陸奥歌)
訳:あなたを差し置いて私が浮気心を持つなど、末の松山を波が越えるくらいありえないことです。
末の松山は宮城県多賀城市の松の名所です。東日本大震災でも津波が到達しなかったそうです。ここを波が越すようなことは絶対に起きない、という喩えですね。
ふたつの歌に読まれたシーンを重ねるとこうなります。
恋人同士の男女、二人は「何が起きてもずっと一緒にいようね」と固く誓い合いました。ですが、時が流れ女の方が心変わりし二人は別れてしまいます。そして男の方が「あんなに約束したのに」と女に対して恨み言の歌を送りました。
このストーリーが清原元輔の和歌・31文字で表現されています。
清原元輔は「末の松山波越さじとは」の句をキーフレーズにして、本歌の情景をまるごと自分の歌に呼び込み、過去に永遠を誓い合った恋人同士が居たという文脈を作り出しました。そして、残りの句で自分の主題である「恋人に裏切られた男」という情景をかぶせています。これが本歌取りのテクニックです。
昔の貴族は主要な和歌集は全部暗記しているのが当たり前だったので「あれを元ネタにしてるな」とメタ情報にニヨニヨして和歌を楽しむことができました。
言ってしまえばアニメオタクが有名な作品を踏まえて会話するのと全く同じです。
この「元ネタを想起させるキーを作品の中に仕込んでおき、元ネタのイメージを自分の作品に取り込む」テクニックは、和歌以外に書道や絵画、工芸品にも使われています。
日本刀以外の本歌と写し
理屈をこねるより見た方が早いので、日本美術史上最も有名だと思われる本歌取り・本歌と写し的な関係性を持つ作品群をご紹介します。
江戸時代、直接の師匠・弟子の関係でなく個人的に先人をリスペクトする形で作品の連続性を持つ美術の一派が居ました。京都から発生し、江戸時代後期には江戸に分派した「琳派」と呼ばれるアーティストたちです。
彼らは裕福な町人の家具や雑貨などの仕事も手掛けており、イラストレーターとグラフィックデザイナーとプロダクトデザイナーを兼ねた存在でした。
ちょうど去年(2015年)が琳派400周年のメモリアルイヤーで、京都を中心に様々な展示や催しが開催された年が終わったところです。
まずは本歌となる作品から。江戸時代初頭の京都の画家・俵屋宗達。
『風神雷神図屏風(国宝)』。
描かれた風神と雷神は、三十三間堂にある風神と雷神の像(鎌倉時代の作品)をモデルとしています。
次に、江戸時代中期に活躍した京都の画家・尾形光琳。彼は俵屋宗達の風神雷神図屏風をリアルに見る機会があったようで、模写をした上で細部にアレンジを加えた作品を描いています。
『風神雷神図屏風(重文)』。
さらに尾形光琳は風神雷神図を本歌取りしたリスペクト作品を作りました。
『紅白梅図(国宝)』です。
梅の枝ぶりと中央に流れる川の画面構成が風神雷神図と同じです。互いににらみ合った風神・雷神を紅白一対の梅に置き換え、風と雷雨が吹き荒れているであろう画面中央に渦を巻いて流れる川を配しています。
この作品は風神雷神図の画面構成の文脈を写したものであり、尾形光琳の最高傑作です。
さらに時代が下って江戸時代後期の画家・酒井抱一も風神雷神図を描きました。ただ、彼は俵屋宗達の作品を直に見る機会がなかったようで、尾形光琳の作品を見て描いたようです。そのせいか、宗達→光琳→抱一で少しずつ風神雷神がデフォルメされているような印象があります。
ライセンス的に使用して良い画像がなかったので美術館の作品紹介ページを。
酒井抱一も風神雷神図を本歌取りしたリスペクト作品を作りました。『夏秋草図屏風(重文)』です。
この作品は尾形光琳の『風神雷神図屏風』の裏面に貼り付けるために描かれ、今は別の屏風に仕立て直されています。
夏秋草図屏風は左側の強風が吹く秋草と右側の夕立が降る夏草のパートに分かれており、秋草の裏には風神が、夏草の裏には雷神が来るようになっていました。それぞれ裏にいる風神・雷神によって地上がどうなっているかを描いたのがこの作品です。尾形光琳流の本歌取りとは違って、風神雷神図のシチュエーションの文脈を写し、そこに本歌になかった夏(夕立)と秋(野分)という季節性を追加した作品、酒井抱一の傑作と言われています。
で、ぐぐーっと時代が下がって平成。琳派400年記念祭の一環で製作された作品もせっかくなので見てみましょう。
上田バロン氏は京都出身で関西を拠点に活躍するイラストレーター。Adobe Illustratorで描いたイラストを金箔和紙にUVインクで出力した作品です。技法が完全に今風ですね。
これは「IMA RINPA展」のお披露目フォーラムの際の写真です。携帯カメラで真正面からなので細かいテクスチャが全部飛んでしまっていますね。風神・雷神のアップをじっくり見たい人は公式サイトの作品ページをご覧ください。
展示会の作品解説をそのまま引用します。
俵屋宗達の風神雷神図屏風と、酒井抱一の四季花鳥図屏風の2つの大作、
江戸時代からつづく琳派代表作家の新旧の作品を融合させた新しい解釈と試み。
風神雷神は単なる模写にせず、俵屋宗達がイメージの源泉にしたとされる京都三十三間堂の風神雷神像木像(国宝)からさかのぼり、
一度同じ目線に立ち返って再構築し描き出した。
酒井抱一が尾形光琳風神雷神屏風の裏に銀で仕上げた夏秋草図を両面使いで新しいコンセプトで再構成したところにリスペクトし、今回の作品に彼の大作「四季花鳥図」を再構成し融合させるに至った。
風雷地水図は火、空気、水、土の四大元素(エンペドクレス提唱)にも共通し、この世界を構成する根源であり最小単位。
風(空気)、雷(火や水を構成する自然現象)を風神雷神と見立て、花鳥風月で豊かな日本の四季の美しさを大地(土)として描いた。
このテーマはつまり地球そのもの。
つまり金箔を用いた1枚の絵の中に万物を描き出した。
今回の記事に即して言うと、俵屋宗達の風神雷神図+酒井抱一の四季花鳥図+夏秋草図の文脈構築手法、の三つを本歌として作られた写し、となります。
ここに「写し」のキモが詰まっているように思いますね。
刀に限らず、リスペクト作品を作るという行動は下のような流れを行っているのが分かります。
まず、先行する作者Aの作品を見聞きした後進の作者Bが、作品Aを自分の感性で解釈し、コンセプトやテクニックなどを読み取って再構成し、自分の表現手法を使って新しい作品を作る。できあがった作品Bがさらに作品Cの元となる可能性もあります。
作者Bが作品Aについてどういう解釈をするか、それを再構成するときにどのような取捨選択を行うかによってできあがる作品Bは変化します。
こうした日本のアートやものづくりの「先人リスペクトお作法」を踏襲した結果生まれる作品が「写し」だと思います。
本歌と写しに関連して「銘と号と通称・俗称の話」も書きましたので、こちらも御覧ください。(2019.5.16追記)
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