水心子正秀顕彰碑(山形県)のご紹介

仕事で山形県南陽市赤湯地区のぶどうとワインづくりにご縁があり、現地訪問の機会ができたので同地区にある水心子正秀顕彰碑も一緒に見学してきました。
現地に行かれる方の参考になれば幸いです。

水心子正秀は江戸時代後期に活躍した「新々刀の祖」と呼ばれる刀工で、大慶直胤・源清麿と共に江戸三作と呼ばれています。
山形藩のお抱え刀工として彼が作刀に励んだ活動拠点が江戸の山形藩中屋敷だったため江戸三作と呼ばれているのですが、生まれ故郷は山形県南陽市の元中山というところ、育ったのは同じ南陽市の赤湯地区と言われます。
その赤湯地区に昭和になってから建立されたのが、今回ご紹介する顕彰碑です。

赤湯駅ホームの表示

まず赤湯という土地について。
こちらは赤湯温泉という平安時代から続く温泉地で、米沢藩上杉家の別邸が旅館となった「上杉の御湯 御殿守」を始めとする14軒の旅館と4つの公衆浴場があります。
明治の頃、赤湯温泉の人々は疫病や大火事に見舞われ活気を失った町を復興するため、町に隣接する小高い山・烏帽子山に桜を植樹し整備しました。
現在「烏帽子山の千本桜」として日本のさくら名所100選に選ばれている公園です。

烏帽子山公園駐車場の看板

その山頂に鎮守の社として近隣にあった源義家の弟・加茂二郎義綱ゆかりの八幡宮を移転したのが烏帽子山八幡宮で、水心子正秀顕彰碑はこのお社の境内にあります。
温泉街から参道を登って行き、本殿の前まで行きます。途中にある石造りの大鳥居はひとつの石から切り出して作られた継ぎ目のないものとしては日本一の大きさ。また、本殿の扁額(お詣りして写真を撮り忘れたのでGoogle Mapsでご覧ください)も立派な石造りのもの。この土地には高い技術を持つ職人を育てる気風があることを感じさせます。

参道には見事な枝垂れ桜も
日本一の継目無し石造り大鳥居

本殿横の駐車場の隅に、下の看板があります。これは顕彰碑そのものではないので注意してください。
この看板には顕彰碑を建てるに至った経緯が説明されています。ほぼ同じ内容が顕彰碑の裏側にも刻まれているのですが、こちらの方が読みやすいです。

顕彰碑の説明看板

看板の脇にある小さな石段を降りると、少し開けた広場に出ます。広場にある大きな桜の木の根本に水心子正秀顕彰碑があります。
神社や地元の方がきちんと整備されているので、周りも草が刈られていてきれいです。

水心子正秀顕彰碑

地図で見るとここです。知らずに行くと見落としてしまうかも。

裏には顕彰碑の由来などが記されています

こちらの顕彰碑、昭和50年に地元の愛刀家・黒江二郎氏が発起人となって愛刀家に資金を募って建立されたもので、表の「水心子正秀」の文字は刀剣研究家の福永酔剣氏の揮毫によるもの。

黒江二郎氏は『水心子正秀とその一門』(雄山閣出版・1979年)の編著者ですし、福永酔剣氏も日本刀に興味を持った人なら展覧会の解説文や刀剣関連の書籍などで名前を見たことがあるのではないでしょうか。
私も顕彰碑建立に関わった方の名前を拝見して「あっ!この名前知ってる!」と興奮してしまいました。

こちらを案内してくださった地元の方によると水心子正秀の生家にも小さな案内看板があるそうですが、駅や町なかから離れた場所にあってアクセスが悪いため、水心子正秀の事績を多くの方に知ってもらうための顕彰碑には桜見物に毎年大勢の方が訪れるこの場所を選ばれたのではないか?とのことでした。

山形市と米沢市の間にある南陽市赤湯、山形新幹線で山形から30分、米沢からは20分です。
米沢といえば上杉家の博物館もあり、刀剣の展示も行われますよね。米沢への遠征の機会がありましたら、水心子正秀のふるさとにも足を伸ばしてみませんか。
その際にはぜひ甲州、長野に並ぶブドウの産地・山形のワインもご賞味ください。

余談ですが…関西からのアクセス

今回赤湯を訪れるのに行き方を色々調べましたので、参考までに掲載しておきます。

夜行バスの場合:大阪・赤湯温泉間の夜行バスがあります
新幹線の場合:東海道新幹線と山形新幹線に乗りましょう
飛行機の場合・その1:山形空港から空港バスで山形市内に行き、山形新幹線に乗りましょう
飛行機の場合・その2:仙台空港から空港バスで山形市内に行き、山形新幹線に乗りましょう

私の場合は仙台空港から山形市内行きの空港バスが運休していたので、仙台空港から電車で仙台市内へ出てから山形行きの高速バス(山交バスと宮城交通があります)に乗りました。仙台市内から山形市内までは1時間程度です。

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