刀の見方 かたち編その2 直刀

刀の見方 かたち編は古い方から順に見て行きます。
最初は一番古い「直刀」から。

直刀

この通り、全然反ってないものです。
こうした反りのない刀は、古くは古墳時代から平安時代の最初の方くらいまでに見られるそうです。
今残っているものは奈良の正倉院の収蔵品や、全国の古墳から出土したものなどです。完全に文化財というか考古資料のレベルですね。
なので、博物館ならともかく鑑定会などではほぼ見ることはないと思います。

古い文章では「大刀」や「横刀」と書いて「たち」と読んでいたようですが、この使い分けも大体のサイズ感で呼び分けていたようで、厳密に何センチから何センチ、という決まりがあったのではないようです。

日本の刀剣は最初は大陸でのスタンダードな形、両方に刃が付いた「剣」が作られていたのが、段々とこのような片方にしか刃のついていない「刀」が主流となっていったようです。そして、この直刀がさらに湾曲した反りを持つようになって行きます。

ただ、どうして剣が廃れて刀が主流になったのか、そこからさらに反りをつけるようになったのか。
このあたりの事情はいろんな説があって、よくわかっていません。
なんせ千年以上前の話ですので、推測や仮説はたくさんあるものの、決め手となるモノがないことには確定できません、という話です。

日本の刀剣作りは大陸から伝わった技術が基礎になり、そこに日本なりの戦争のやり方や刀剣への思いが加わって進化を遂げた結果として日本刀があります。平安時代の半ばの逸話でも、「から(唐?韓?)」の職人を招いて刀を作らせたというエピソードが出てきたりしますので、その頃までは大陸からその都度最新の技術を輸入していたことが伺えます。

もしかすると、これから古墳の発掘調査でそのあたりの事情が分かるような何かが出土するかもしれませんし、刀剣の研究が進んで行けば分かってくるかもしれませんね。

その3では平安時代の太刀を見てみたいと思います。

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